小早川隆治のプロフィール写真

小早川隆治

マツダ開発責任者

RX-7 担当主査として3代目 RX-7 の軽量化に挑み、モータースポーツ主査を兼ねて 1991 年のルマン優勝を迎えた人

年表

  1. 1963

    入社東洋工業

  2. 1985
    RX-7 2代目のサムネイル
    RX-7 2代目

    1985年〜1992年開発責任者

  3. 1986

    RX-7担当主査

  4. 1989

    モータースポーツ主査

  5. 1991
    RX-7 3代目のサムネイル
    RX-7 3代目

    1991年〜2003年開発責任者1992年まで

    一緒に開発した人

    ゼロ戦の残骸と「ゼロ作戦」

    2代目の導入直後の 1986 年に RX-7 担当主査になった小早川は、∞(アンフィニ)仕様やカブリオレの開発と並行して 3代目の開発に取りかかり、チームと「志凛艶昂」というキーワードを決めた。忘れられないのがゼロ戦の残骸との出会いで、貴島孝雄にリーダーを頼み、「ゼロ作戦」を合言葉に徹底的な軽量化に挑んだ。レーシングカートや RE フォーミュラカーもプロジェクトで買い、メンバーに幅広い体験をしてもらって、追求すべきスポーツカー像を描き出した。

  6. 2001

    退社

つながり

  • 山本健一のプロフィール写真

    山本健一

    上司

    小早川は1963年に東洋工業へ入社して「RE研究部」試験課に配属され、山本健一部長のもとでロータリーエンジンの開発に従事した。

  • 貴島孝雄のプロフィール写真

    貴島孝雄

    部下

    RX-7 の担当主査として3代目の開発に着手した小早川は、貴島にリーダーとなってもらい、「ゼロ作戦」を合言葉に徹底的な軽量化に挑んだ。

プロフィール

学習院大学理学部物理学科を卒業。1986年にRX-7担当主査となり、∞(アンフィニ)仕様やカブリオレの開発と並行して3代目RX-7の開発に着手した。1989年11月からモータースポーツ主査を兼任。3代目RX-7の導入後は広報/デザイン本部、北米マツダなどを経て2001年に退職し、フリーランスモータージャーナリストとなった。

マツダの開発者

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