マツダ RX-7 歴代モデル・型式一覧

概要

RX-73モデルを掲載しています。 掲載しているうち、最も古いのは1978年の初代(SA22C/FB3S)です。 最も新しい3代目(FD3S)は2003年まで販売されました。 掲載している中では、系統は1つ、開発責任者は2人です。

1978年3月に初代が誕生した、マツダのロータリーエンジンを積むスポーツカー。国内では当初サバンナRX-7と呼ばれ、エンジンを車体の中心近くに配置する「フロント・ミッドシップ」により、2名乗車時で50.7対49.3という前後の重量配分を得ていた。1985年10月の2代目は12A型から13B型へ変わり、幅広い偏平タイヤを収めるブリスターフェンダーを持つ。1991年12月の3代目でサバンナの名称が外れ、当時の販売チャネルにちなむアンフィニRX-7となった。2002年8月に、24年間続いた歴史に幕を閉じる生産終了が決まる。

出典: RX-7(1978年~) 第1章:開発の軌跡 SA/12A Rotary [1978~85]マツダ / RX-7(1978年~) 第2章:開発の軌跡 FC/13B Rotary [1985~91]マツダ / RX-7(1978年~) 第3章:開発の軌跡 FD/13B Rotary [1991~]マツダ

系統

1970
1980
1990
2000
2010
2020
初代1978
初代
初代
19781985
2代目1985
2代目
2代目
19851992
3代目1991
3代目
3代目
19912003

モデル一覧

初代SA22C/FB3S

1978年〜1985年 | 系統1

1978年3月に初代(SA22C)が誕生し、当時の国内での車名はサバンナRX-7だった。「クルマを運転する楽しみの追求」を基本テーマに開発されている。12A型2ローターエンジンはグロス値で130psを発生し、レシプロエンジンより軽量小型なことを生かして車体の中心近くに配置する「フロント・ミッドシップ」により、2名乗車時で50.7対49.3という前後の重量配分を得ていた。初期型の空気抵抗係数(Cd値)は0.36で、低いボンネットフードと、点灯時だけヘッドランプが顔を出すリトラクタブル方式が特徴となる。1980年11月にはエアダム付ウレタン製バンパーを採用してCd値を0.34へ改め、1983年にはターボエンジンを加えた。7年半にわたり生産を続け、1985年10月に2代目へ移っている。

出典: 沿革(1920年~1979年)|歴史|マツダについてマツダ / RX-7(1978年~) 第1章:開発の軌跡 SA/12A Rotary [1978~85]マツダ / RX-7(1978年~) 第2章:開発の軌跡 FC/13B Rotary [1985~91]マツダ

2代目FC3S/FC3C

1985年〜1992年 | 系統1

FC3S/FC3C型、車名はサバンナRX-7。1985年10月にフルモデルチェンジし、車両型式は国内でもVINコードの型式名が採用されてFC3Sへ変更された。プラットフォームは新開発のマツダ・FCプラットフォームとなり、リアサスペンションは独立懸架のセミトレーリングアームマルチリンクへ。エンジンは13B型で、日本向けはインタークーラー付きターボ仕様のみ。フロントブレーキには日本車初の対向4ピストンのアルミキャリパーを採用した。1987年8月にはロータリーエンジン生誕20周年を記念してカブリオレ仕様(FC3C型)が登場している。クーペは1991年12月に販売を終了し、カブリオレは生産が続いて1992年12月に販売終了。2代目の生産台数は27万2,034台。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/マツダ・RX-7

3代目FD3S

1991年〜2003年 | 系統1

FD3S型。1991年10月16日発表、同年12月1日発売で、開発コードはX105。このフルモデルチェンジを機に1971年から20年続いた「サバンナ」の呼称が外れ、販売店系列の名を冠した「アンフィニRX-7」として発売された(後に販売店の統合によりマツダ・RX-7へ変更)。足回りには新開発の4輪ダブルウィッシュボーンを採用し、シーケンシャルツインターボの13B型は最高出力255PSを発生、1996年1月のマイナーチェンジで265PS、1999年1月には280PSへ達した。ユーノス・コスモの生産終了以降は世界唯一のロータリーエンジン搭載量産車となったが、2002年8月に生産終了、2003年4月に販売終了となり25年の歴史に幕を閉じた。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/マツダ・RX-7

開発に関わった人

小早川隆治のプロフィール

小早川隆治開発責任者

1986年にRX-7担当主査となり、∞(アンフィニ)仕様やカブリオレの開発と並行して3代目RX-7の開発に着手した。1989年11月からモータースポーツ主査を兼任。3代目RX-7の導入後は広報/デザイン本部、北米マツダなどを経て2001年に退職し、フリーランスモータージャーナリストとなった。

貴島孝雄のプロフィール

貴島孝雄開発責任者

出身地: 徳島県吉野川市

マツダの元エンジニア。1994年、平井敏彦の退職に伴い初代ロードスターの開発主査に就任し、その後は2代・3代ロードスター及び3代目RX-7の開発主査を務めた。山陽小野田市立山口東京理科大学工学部教授。

販売実績

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