山本修弘のプロフィール写真

山本修弘

マツダ開発責任者

4代目ロードスター(ND系)の開発主査を務め、「ロードスターアンバサダー」として初代ロードスターのレストアサービスの指揮も執った人

年表

  1. 1973

    入社東洋工業

    東洋工業

  2. 2015
    ロードスター 4代目 ND系のサムネイル
    ロードスター 4代目 ND系

    2015年〜現在開発責任者

    一緒に開発した人

    「1トン」から緩めない

    4 代目ロードスターの開発で、主査の山本修弘は重量に「1 トン」という目標を立てた。最初はみんなが「できない」と言い、アルミやカーボンを使わないと無理だ、「エリーゼ」はこうなっている、と返ってきた。山本は「ロードスターはそうじゃないでしょう?」という話を何度もして、技術で軽くする取り組みを繰り返させた。トランクや給油口のオープナーをなくしたのもその一つで、ワイヤとレバーと電磁ロックを比べると、電磁ロックは高いが数グラム軽かった。ベースグレードの車重は 990kg。誰かがどこかで「もうええわ!」となっていたら、そこで終わっていたでしょう、と山本は語る。

    グローブボックスをやめた

    4 代目では、助手席側のグローブボックスを早々にやめた。ダッシュボードにはすでにエアバッグとエアコンが入っていて、そこにグローブボックスを付けると助手席の足元がどうしても狭くなる。助手席の快適性を犠牲にして人間中心の設計を言うくらいなら取ってしまった方がいい、軽量化にもなる、という割り切りで、海外からは相当な反発を受けた。困ったのは、車検証と一緒に入っている分厚い取扱説明書の置き場だった。山本は「取説は一度読んだら、家に保管しておいてください」と説明することにしたという。

    「作らない!」と突っぱねた

    4 代目の開発は、リーマンショックで期間が延びてスケジュールが遅れた。山本は、それがかえってよかったと振り返る。ロードスターは本来どうあるべきか、自分たちは何を作りたいのかを考え直す機会になったからだ。それまでは各リージョンから「ああせい、こうせい」という声が多かった。もっと大きくという声はむしろヨーロッパから多く、MINI の「コンバーチブル」や「ロードスター」を引き合いに「こんなクルマを作れ!」と迫られたが、山本は「作らない!」と突っぱね、ずいぶん戦いになった。本当に欲しいものだけにして、不要なものはそぎ落とそうと見つめ直したという。

  3. 2023

    退社マツダ

つながり

  • 貴島孝雄のプロフィール写真

    貴島孝雄

    上司

    山本は NB ロードスターの開発で「主査の右腕となる開発副主査」を務めて貴島主査のもとで開発を進め、NC ロードスターにも貴島の声掛けで副主査として加わった。

プロフィール

4代目ロードスター (ND系) の開発主査。「ロードスターアンバサダー」の肩書を持ち、初代 (NA型) のレストアサービスの指揮も執った。

マツダの開発者

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