
水澤譲治
いすゞ開発責任者 / 開発に参加
年表
- 1946
入社
いすゞ
- 1963
ベレット 初代1963年〜1974年開発責任者
経験の無い若者たちと、工場の命運を背負う
ベレットの開発はベレルの生産立ち上げと重なったため新しいチームが組まれ、水澤がその責任者になった。メンバーは未経験ながら意欲にあふれた、怖いもの知らずの若者たちだった。ベレットは建設の進む藤沢工場の主力車種として、いすゞの命運を担う車と位置づけられていた。チームは工事現場を訪れて責任の重さを感じ、一丸となって目標を果たすと決めた。世界の主な車を分解して設計の意図を読み取り、四輪独立懸架やラックアンドピニオンのステアリングなど、当時としては思い切った仕様を採り入れた。
「自分の信じる通りにやれ」
新しい装置ばかりの開発で、最も難航したのは車の性格を決めるリヤサスペンションだった。ダイアゴナルリンクの構造を設計し、スイングアクスルが招く横転の危険を避けることが特に大きな課題になった。上司の「自分の信じる通りにやれ」という励ましと水澤の強い信念がグループ全員の力を引き出し、昼夜を問わない苦心の末に案が次々と生まれて難問を解いた。ベレットは、高速安定性と操縦性に優れた本格的なスポーツサルーンに仕上がった。
- 1968

プロフィール
東京都出身。いすゞ自動車の技術者。乗用車ベレットの開発で新しく編成されたチームの責任者を務め、のちに同社の取締役会長となった。2013年に日本自動車殿堂入り。