ジョルジェット・ジウジアーロ

ベルトーネとギアを経てイタルデザインを興し、いすゞの 117 クーペ、ピアッツァ、2代目ジェミニのデザインを描いたイタリアの工業デザイナー

年表

  1. 1955

    フィアット デザイン部門(チェントロ・スティーレ)

  2. 1959

    ベルトーネチーフスタイリスト

  3. 1965

    カロッツェリア・ギアチーフ・デザイナー

  4. 1968
    117クーペ 初代のサムネイル
    117クーペ 初代

    1968年〜1981年デザイン責任者

    一緒に開発した人

    ギアを離れても、量産の手直しは自分の手で

    いすゞは 117クーペのコンセプトからデザイン、パッケージ、スタイリングまでをカロッツェリア・ギアに任せ、当時ギアのチーフデザイナーだったジウジアーロが担当した。ジウジアーロはその後ギアを辞めて独立し、イタルデザインを立ち上げたが、いすゞとの仕事は続いた。ショーカーの 117スポルトを何としても売りたいといういすゞ首脳陣の意向を受け、量産に向けた手直しはジウジアーロ自身が行い、元の美しさをできるだけ残しながら主に室内高を増やした。量産の指導は、イタルデザインの最初の仕事になった。

    プレスで作れない外板を、手で仕上げる

    ジウジアーロが描いた外板は、当時のいすゞの製造技術ではプレス機で再現できず、経営が苦しく設備投資の余裕もなかった。いすゞは大まかなラインだけをプレスで出し、トリミングや穴あけといった工程の大半を手作業にすると決めて、市販にこぎつけた。初期型が「ハンドメイド」と呼ばれるのはこのためで、組み立ての自動化は最後まで進まず、3年間の総生産台数は 2,458台にとどまった。

    イタルデザイン

  5. 1981
    ピアッツァ 初代のサムネイル
    ピアッツァ 初代

    1981年〜1991年デザイン責任者

    アッソ・ディ・フィオーリ

    1978 年、117 クーペの後継を計画していたいすゞは、ジウジアーロにデザインを頼んだ。ジウジアーロは翌 1979 年 3 月、1970 年代初頭から手がけてきた“Asso シリーズ”の集大成となる「アッソ・ディ・フィオーリ」をジュネーヴショーに出した。完璧なフラッシュサーフェスと、くさび型のウェッジシェイプフォルムによる空力特性と居住性の融合がスタイリングテーマだった。その寸法を広げ細部をリファインした「いすゞX」を経て、1981 年に「ピアッツァ」として商品化された。

    ジウジアーロ・デザイン

  6. 1985
    ジェミニ 2代目のサムネイル
    ジェミニ 2代目

    1985年〜1990年デザイン責任者

    名前を伏せたデザイン

    2代目ジェミニのボディデザインは、117 クーペやピアッツァでいすゞと関係の深かったジウジアーロが手がけた。しかし、いすゞ社内によるリデザインにジウジアーロが難色を示したため、発表時には彼のデザインであることは伏せられた。

  7. 1991
  8. 1991
    アリスト 初代のサムネイル
    アリスト 初代

    1991年〜1997年デザイン責任者

    一緒に開発した人

    ジャガーの試作車より先に引かれていた線

    初代アリストの外観は、ジウジアーロが率いるイタルデザインが手がけた。イタルデザインは、余計な装飾を重ねすぎていた日本の最上級セダンに、欧州らしい節度ある均整を持ち込もうとした。1990年のジャガーの試作車ケンジントンが元になったと言われることが多いが、イタルデザインは最初の図面は1988年にさかのぼると説明している。トヨタはこの試作をもとにさらに発展させ、洗練された4ドアの高級車に仕上げた。

つながり

プロフィール

世界的に著名なカーデザイナー。いすゞとは1960年代後半より大変深い関係にあり、「ピアッツァ」のほか、1968年の「117クーペ」、1985年の2代目「ジェミニ」のデザインを描いた。1979年3月のジュネーブモーターショーで発表された「アッソ・ディ・フィオーリ」は、発表から2年後の1981年に「ピアッツァ」として発売された。

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