
浅木泰昭
ホンダエンジン開発 / 開発責任者
N-BOXとF1で、ホンダの窮地を救った人
年表
- 1981
入社
本田技術研究所 エンジンテストグループ
- 1982
第2期ホンダF11983年〜1992年
1982年〜1986年エンジン開発
F1エンジンのテスト部門
- 1983

入社2年目、F1 のエンジンに噛みつく
第2期ホンダF1のエンジン開発チームに異動した。極端なビッグボアのエンジンに「壊れるのは当たり前です」と上司に食ってかかり、毎晩のように成増の焼き鳥屋で説教された。
- 1986
市販車のエンジン開発
- 1994
- 1995

いちばん難しかった、気筒休止
4代目インスパイアに積んだ V6 は、巡航中に片側の3気筒を休ませて燃費を稼ぐ。休ませると振動が出る。浅木は、社内でディーゼル用に作られながら出番の無かったアクティブ・エンジンマウントに目を付け、その開発者を半ば騙すように口説いて組んだ。自分が手掛けたなかで一番難しかったのは、N-BOX でも F1 でもなく、この気筒休止だという。
- 2004
本田技研工業 商品企画室
- 2011
主任研究員
- 2017
執行役員
- 2018
第4期ホンダF12015年〜2021年
2018年〜2021年開発責任者
定年まで半年、F1 に呼び戻される
N シリーズを送り出したあと、定年まで半年というときに、ホンダF1 のパワーユニット開発の責任者を任された。定年退職を撤回して引き受けた。壊れ続けた MGU-H には、社内のホンダジェットの技術者を引き込み、軸受けの位置の問題を見抜いてもらった。
撤退の年に、王座
ホンダが F1 から退く最後の年に、ホンダのパワーユニットを積んだフェルスタッペンがドライバーズチャンピオンを取った。勝てない年が続くと、技術者は言い訳を探す「負け癖」を身に付ける。それだけは残したくなかったという。
本田技術研究所 HRD Sakuraセンター長
- 2022
ホンダ・レーシング(HRC) 四輪レース開発部常務取締役四輪レース開発部長
- 2023
退社
つながり
プロフィール
広島県出身。広島工業大学工学部機械工学科を卒業後、1981年に本田技研工業に入社し、翌1982年にF1エンジンの開発チームへ異動して、第2期ホンダF1の初期の活動に関わる。1986年に市販車開発へ戻り、レジェンドやオデッセイ (初代) などのエンジン開発に携わる。1995年からは可変シリンダーシステム (VCM) を搭載した V型6気筒エンジン (J30系列) の開発を手掛け、インスパイア (4代目) やエリシオンなどに搭載された。2008年からは新型軽自動車 (後の N-BOX) の LPL (ラージプロジェクトリーダー、開発責任者)、その後はホンダF1の LPL を務めた。