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ランサーまでのつなぎに生まれた「豆タンク」
1960年代の終わり、カローラやサニーで大衆車の市場は急に広がっていた。三菱はギャランで一つ上の層には応えたが、下の層は売れ行きの悪いコルト1000Fしかなく、後を継ぐランサーはまだ準備ができていなかった。そこでランサーが出るまでの間を埋めるため、スプリンターやサニークーペと同じ大衆向けのスポーツモデルとしてFTOが企画された。販売店からは「事務所で電話を受けるだけで売れる車を」という声も届いていた。ギャランを土台に全長とホイールベースを詰めたこの車は、社内で「豆タンク」と呼ばれた。山村は小林健作と2000ccの上級版も提案したが、商品企画部に退けられた。発売後は評判も売れ行きも上々で、つなぎの役目を果たせたと皆で祝杯を挙げた。
