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ジュジャーロとの競作を覆した裁定
米国の留学から戻った三橋に、久保常務は「とにかくスタイルの良いクルマにしたい」と新しい乗用車のデザインを命じた。案はイタリアのジュジャーロにも頼み、社内のデザイナーと競わせる方針だった。トリノで本人と打ち合わせた三橋は強い対抗意識を抱き、低いフロントから流れるように上がってリヤピラーの前で鋭く跳ね上がるベルトラインを描いた。のちに言うウエッジシェイプの始まりだった。1968年1月の審査では、幹部のほとんどがジュジャーロの案を最終デザインのベースにすべきだと述べた。ところが久保は、社内のモデルをベースにイタリアのモデルの良いところを入れていけばよいと、皆の意見を覆した。
