
小田垣邦道
ホンダ開発責任者
北米向けミニバンの開発中止のあとも検討を続け、「影のプロジェクト」から初代オデッセイを生んだ開発責任者
年表
- 1974
王子精機株式会社
- 1977
入社本田技術研究所
本田技術研究所
- 1988
主任研究員
- 1994
1 台 3 万ドル
1990 年、小田垣はアメリカ向けの大きなミニバンを作ってほしいと言われ、浅木泰昭らとアメリカでミニバンの使われ方を調べた。レジェンドの V6 を積み新工場で作ると 1 台 3 万ドルを下らず、平均約 2 万ドルの市場では売れない。4 気筒のアコードを使う別案も用意していたが説明の機会はなく、北米向けの開発はわずか 4 か月で中止になった。それでも小田垣は、小型ミニバンの検討は続けるべきだと主張した。
宇宙家族ロビンソンのチャリオット
里帰りの長いドライブで子どもたちが喧嘩するのを見て、小田垣は子どもの頃に夢中で観た「宇宙家族ロビンソン」の探険車チャリオットのような、3 列の独立シートでウオークスルーできる車を思い描いた。デザイナーからは 3 列シートでは格好良くならないと反発されたため、3 列目を使わないときは床下にしまう案を考え、あの反転して収まる 3 列目シートが生まれた。
スライドドアだけは
国内営業の理解はなかなか得られず、ある時、スライドドアだけは妥協して採用してくれと持ちかけられた。これを飲めば車が実現すると小田垣の気持ちは揺れた。そこへ浅木泰昭がやってきて、ここまで来て妥協するのか、乗り降りがスマートな 4 枚ドアこそ自分たちの車の特徴だと詰め寄った。小田垣は目を覚まされ、諦めずに各部署を説得し続けた。
- 1995
エグゼクティブチーフエンジニア
- 1998
商品企画室長
- 2000
常務取締役(商品・技術企画室長)
- 2003
専務取締役(四輪執行責任者)
- 2005
取締役副社長(四輪執行責任者)
- 2007
株式会社ケーヒン代表取締役副社長
- 2008
代表取締役社長
プロフィール
兵庫県豊岡市出身。1974年に姫路工業大学を卒業。初代オデッセイの開発責任者(LPL)。元・本田技術研究所取締役副社長。