ホンダ · オデッセイ

ホンダ オデッセイ 初代(RA1/2/3/4/5)

販売期間
1994年〜1999年
型式
RA1/2/3/4/5
駆動方式
FF・4WD
初代のサムネイル

画像: TTTNIS / CC0

どんな車か

RA1/2/3/4/5型。5代目アコードのプラットフォームを用い、ボディサイズをアコードと同じ生産ラインに流せる限界に収めた。当時のミニバンとしては低い全高と4輪ダブルウィッシュボーンによる走行性能が評価され、予想外の大ヒットとなった。

開発秘話

01

1 台 3 万ドル

1990 年、小田垣はアメリカ向けの大きなミニバンを作ってほしいと言われ、浅木泰昭らとアメリカでミニバンの使われ方を調べた。レジェンドの V6 を積み新工場で作ると 1 台 3 万ドルを下らず、平均約 2 万ドルの市場では売れない。4 気筒のアコードを使う別案も用意していたが説明の機会はなく、北米向けの開発はわずか 4 か月で中止になった。それでも小田垣は、小型ミニバンの検討は続けるべきだと主張した。
小田垣邦道

02

宇宙家族ロビンソンのチャリオット

里帰りの長いドライブで子どもたちが喧嘩するのを見て、小田垣は子どもの頃に夢中で観た「宇宙家族ロビンソン」の探険車チャリオットのような、3 列の独立シートでウオークスルーできる車を思い描いた。デザイナーからは 3 列シートでは格好良くならないと反発されたため、3 列目を使わないときは床下にしまう案を考え、あの反転して収まる 3 列目シートが生まれた。
小田垣邦道

03

スライドドアだけは

国内営業の理解はなかなか得られず、ある時、スライドドアだけは妥協して採用してくれと持ちかけられた。これを飲めば車が実現すると小田垣の気持ちは揺れた。そこへ浅木泰昭がやってきて、ここまで来て妥協するのか、乗り降りがスマートな 4 枚ドアこそ自分たちの車の特徴だと詰め寄った。小田垣は目を覚まされ、諦めずに各部署を説得し続けた。
小田垣邦道

エンジン

足まわりと大きさ

全長 4,750mmWB 2,830mm1,645-1,660mm全高全幅 1,770mm
車両重量
1,470-1,610kg

系譜の中での位置

1990200020102020Now

販売実績

地域別の販売台数

日本 新車登録台数 251,291台 掲載3年分(1996〜1998年)アメリカ合衆国 販売台数 94,318台 掲載5年分(1994〜1998年)オーストラリア 販売台数 1,389台 掲載1年分(1998年)

交代年(シリーズに計上): 1999年

マイナーチェンジ

マイナーチェンジエンジン排気量最高出力最大トルク車両重量シフト価格
1994年10月 発売時1994年10月〜———————
1996年1月 一部改良1996年1月〜———————
1996年9月 マイナーモデルチェンジ1996年9月〜———————
1997年8月 マイナーモデルチェンジ1997年8月〜———————
1998年11月 一部改良1998年11月〜———————

開発に関わった人

小田垣邦道のプロフィール

小田垣邦道開発責任者

出身地: 兵庫県豊岡市

初代オデッセイの開発責任者(LPL)。元・本田技術研究所取締役副社長。

浅木泰昭のプロフィール

浅木泰昭エンジン開発

出身地: 広島県

1981年に本田技研工業に入社し、翌1982年にF1エンジンの開発チームへ異動して、第2期ホンダF1の初期の活動に関わる。1986年に市販車開発へ戻り、レジェンドやオデッセイ (初代) などのエンジン開発に携わる。1995年からは可変シリンダーシステム (VCM) を搭載した V型6気筒エンジン (J30系列) の開発を手掛け、インスパイア (4代目) やエリシオンなどに搭載された。2008年からは新型軽自動車 (後の N-BOX) の LPL (ラージプロジェクトリーダー、開発責任者)、その後はホンダF1の LPL を務めた。

岩倉信弥のプロフィール

岩倉信弥デザイン責任者

出身地: 和歌山県和歌山市

本田技研工業でホンダ車を多くデザインしたカーデザイナー。代表作に初代・2代目プレリュード、初代・3代目シビック、初代 CR-X、初代オデッセイなど。同社の常務取締役(商品担当)を務めた。

中古車の相場

カーセンサーに掲載されている、この世代の中古車の相場です。金額は車両本体価格で、支払総額にはこのほかに諸費用が加わります。2026-09-19 時点のもので、価格も在庫も日々変わります。

掲載台数
7台
平均価格
124.6万円
価格帯
49〜289万円

出典: カーセンサー(リクルート)の「オデッセイ(1994年10月~1999年11月)」。2026-09-19 時点。