上原繁のプロフィール写真

上原繁

ホンダ開発責任者 / 開発に参加

初代 NSX の開発責任者を務め、のちのホンダのスポーツカーの基本仕様になるタイプR を企画した人

年表

  1. 1971

    入社

    本田技術研究所

  2. 1990
    NSX (初代)のサムネイル
    NSX (初代)

    1990年〜2005年開発責任者

    大きさは変わっても、ハンドリングは変えない

    1985 年、上原は前の年から関わっていたアンダーフロア・ミッドシップの研究から NSX につながるプロジェクトの担当責任者になった。NSX の大きさや積むエンジンは社内の事情や市場の調べで二転三転したが、車の方向はハンドリングにこだわるものにした。発表当時の「世界第一級の動力性能とハンドリングの両立」という売り文句は、上原の意向が強いとされる。

  3. 1993
    インテグラ 3代目のサムネイル
    インテグラ 3代目

    1993年〜2001年開発に参加

    優等生に激辛をかけたタイプR

    インテグラ タイプR は、1995 年、インテグラを活性化させるためのモデルチェンジでつくられた。上原は開発責任者ではなく、プロデューサーのような立場だった。当時のインテグラは丸目 4 灯のデザインが個性的すぎて市場になかなか受け入れられず、フェイスリフトなどで手を入れていた。上原が現物を知ろうと SiR にじっくり乗ってみると、エンジンは気持ちよく回り、乗り心地も良く静かで、バランスの良い優等生だった。だが優等生は、本当にクルマが好きな人の心には刺さりにくい。当時は FF はスポーツカーにならないという趣旨の評論もあり、それならつくってやろうとタイプR をつくった。アンダーステアが出ないよう、ヘリカル LSD とサスペンションの設定で抑えるのがテーマだった。上原は、初代のインテグラ タイプR は好き者が集まってつくったと笑う。

  4. 1999
    S2000のサムネイル
    S2000

    1999年〜2009年開発責任者

    SSM の好評から

    1995 年の東京モーターショーで発表した FR のオープンスポーツのコンセプトカー SSM が好評で、S2000 の開発が始まった。上原はその開発責任者になり、S2000 はホンダの 50 周年のモデルとして 1999 年に発売された。

つながり

  • テッド・クラウスのプロフィール写真

    テッド・クラウス

    相談に来た人

    2代目 NSX の開発責任者に任命されたクラウスが最初にしたのは、初代の開発責任者だった上原を訪ねることだった。2012年3月、2人は宇都宮の居酒屋で NSX の話をした。

プロフィール

東京都練馬区出身。東京農工大学工学部機械工学科を卒業。初代 NSX の開発責任者 (LPL)。操縦安定性を専門に研究しており、ミッドシップ・リアドライブとオールアルミボディを採用した。インテグラ タイプRの企画開発も担当した。

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