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ロータリー47士
1963 年 3 月、山本は社長の松田恒次の意向でロータリーエンジンの開発に専念するよう指示され、翌 4 月にロータリーエンジン開発部の部長になった。集まった 47 人の開発部隊は、赤穂浪士にあやかって「ロータリー47士」と名乗った。背景には、通商産業省の自動車業界再編計画で東洋工業が他社に飲み込まれるかもしれないという危機感があった。胃に穴があき、歯が抜け落ちるほど体調が変わっても開発を諦めず、1967 年 5 月、バンケル式ロータリーエンジンを実用化したコスモスポーツを発売した。

