山本健一のプロフィール写真

山本健一

マツダ開発に参加 / エンジン開発

東洋工業のロータリエンジン研究部を率い、世界で初めてロータリーエンジンを実用化してコスモスポーツに載せた人

年表

  1. 1944

    川西航空機

  2. 1946

    入社

    東洋工業株式会社

  3. 1960
    R360クーペ 初代のサムネイル
    R360クーペ 初代

    1960年〜1969年開発に参加

    一緒に開発した人

    鉄のばねを、ゴムに

    R360クーペで、山本はどこのメーカーも手がけていなかった試みをした。それまでサスペンションのばねは鉄で、4人で乗るときはよくても、1人だと硬くて尻が痛くなる。そこで山本はゴムを使ったサスペンションを開発し、評判を呼んだ。何事にも命がけで取り組む山本の仕事ぶりを見て、社長の松田恒次は世界初のロータリーエンジンの開発を任せることを思いついたのだろうと、本人は振り返っている。

  4. 1963

    ロータリエンジン研究部ロータリエンジン研究部 部長

  5. 1967
    10A エンジン

    10A エンジン

    105PSロータリー・982cc・105PS

    110PSロータリー・982cc・110PS

    128PSロータリー・982cc・128PS

    エンジン開発

    コスモ 初代

    ロータリー47士

    1963 年 3 月、山本は社長の松田恒次の意向でロータリーエンジンの開発に専念するよう指示され、翌 4 月にロータリーエンジン開発部の部長になった。集まった 47 人の開発部隊は、赤穂浪士にあやかって「ロータリー47士」と名乗った。背景には、通商産業省の自動車業界再編計画で東洋工業が他社に飲み込まれるかもしれないという危機感があった。胃に穴があき、歯が抜け落ちるほど体調が変わっても開発を諦めず、1967 年 5 月、バンケル式ロータリーエンジンを実用化したコスモスポーツを発売した。

    コスモ 初代

    悪魔の爪痕

    試作したロータリーエンジンを回すと、ローターハウジングの内壁に波状の摩耗が出た。「チャターマーク」、通称「悪魔の爪痕」で、アペックスシールとハウジングがこすれてできるものだった。牛の骨から貴金属まで材料を試しても消えないなか、山本はシールの固有振動数に原因があると考え、シールに縦と横の穴を開ける「クロスホロー」を思いついた。それでも満足せず、日本カーボンと組んでカーボンパウダーにアルミを含ませたシールを完成させると、チャターマークはまったく出なくなった。コスモスポーツの10A型は、このシールを積んで世に出た。

  6. 1978

    常務

  7. 1984

    代表取締役社長

  8. 1985

    理事長

  9. 1987

    会長

  10. 1992

    退社

    相談役最高顧問

  11. 1995

    相談役

  12. 1998

    名誉相談役

つながり

  • 小早川隆治のプロフィール写真

    小早川隆治

    部下

    小早川は1963年に東洋工業へ入社して「RE研究部」試験課に配属され、山本健一部長のもとでロータリーエンジンの開発に従事した。

プロフィール

熊本県出身。1944年に東京帝国大学第一工学部機械工学科を卒業。元海軍出身の技術者将校で、戦後東洋工業(現マツダ)に入社し、開発リーダーとして世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功した自動車技術者。1963年4月にロータリエンジン研究部を設立して部長に就任し、1967年5月に搭載車コスモスポーツを発売した。のち同社代表取締役社長、最高顧問などを務めた。

マツダの開発者

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