
竹内明英
スバル開発責任者
「『走る喜び』をすべての人に」をテーマに、3代目インプレッサの開発を指揮した PGM
年表
- 2007
インプレッサ 3代目2007年〜2011年開発責任者
5 ドアに舵を切った 3 代目
竹内明英が初めて開発をまとめた 3 代目インプレッサは、それまでのステーションワゴン系をやめ、欧州テイストのおしゃれなハッチバックへ大きく変わった。初代から WRC で戦ってきたインプレッサに期待される姿は、モータースポーツの上位にいた 5 ドアの欧州車の印象を持つ車だという議論から、5 ドアに舵を切った。しかし結果として一番大きな反省は、燃費で出遅れたことだった。エンジンや変速機は従来型に手を加えたもので、AT も 4 速のままだった。コンパクトにしたことで荷室が狭いという印象を与え、円高と原価低減の中で内装の材質を見切った部分も、質感が低いと指摘された。販価は安くても質感が高くなければだめだ、という感覚で大きなビハインドが出たと竹内は振り返る。
スバル
- 2011
インプレッサ 4代目2011年〜2016年開発責任者
「入らねぇじゃねぇか、ダメだ」
4 代目では、竹内明英は 3 代目の反省を踏まえ、お客に説明する場面から逆算して開発を組み立てた。たとえば運転席まわりの物入れの大きさと形を決めるとき、運転するときにいつも身につけているものをどこに置くかを問いかけた。ドアの内側の手をかける掘り込みに財布や携帯をすぽっと置けると楽だと考え、みんなの財布を入れさせてみると入らない。「入らねぇじゃねぇか、ダメだ」と言って直させた。ボトル型のチューイングガムを買ってきて、入らないならあと 5 ミリなんとかしてくれと言いながら、中の空間とデザインのつじつまを合わせたこともある。
スペアタイヤをやめた
3 代目で指摘された荷室は、4 代目で燃料タンクとそれに付く部品を作り直し、とにかく床を下げた。日本と欧州向けには、小さなパンク修理キットを前提に、スペアタイヤを置く空間まで荷室に回す方針に変えた。スペアタイヤをやめていいのかという議論はあったが、判断の基準は、お客はスペアタイヤがあることと、荷室が広くて物が積めたと感じることのどちらが嬉しいかだった。考える余地なくスペアタイヤ無しに決まり、リアデフも作り直して床面を徹底的に下げた。
つながり
プロフィール
第3世代インプレッサの開発を指揮したプロジェクトゼネラルマネージャー(PGM)。