
三橋慎一
三菱デザイン責任者
年表
- 1969
ギャラン 初代1969年〜1973年デザイン責任者
ジュジャーロとの競作を覆した裁定
米国の留学から戻った三橋に、久保常務は「とにかくスタイルの良いクルマにしたい」と新しい乗用車のデザインを命じた。案はイタリアのジュジャーロにも頼み、社内のデザイナーと競わせる方針だった。トリノで本人と打ち合わせた三橋は強い対抗意識を抱き、低いフロントから流れるように上がってリヤピラーの前で鋭く跳ね上がるベルトラインを描いた。のちに言うウエッジシェイプの始まりだった。1968年1月の審査では、幹部のほとんどがジュジャーロの案を最終デザインのベースにすべきだと述べた。ところが久保は、社内のモデルをベースにイタリアのモデルの良いところを入れていけばよいと、皆の意見を覆した。
縦桟の顔と「ダイナウエッジライン」
基本の形が決まったあとも、チームは細部の改良を粘り強く続けた。フロントグリルは数多くの案を作って検討し、最後に選ばれたのは入社3年目の若手、吉澤英明が出した縦桟を基調にした案だった。縦桟の模様はテールランプの周りにも及ぼされ、全体に統一感が生まれた。1969年12月に発売されたコルトギャランは、デザイナーの用語「ウエッジ」にダイナミックを冠した「ダイナウエッジライン」のキャッチコピーも功を奏し、三菱初のヒット作となった。
三菱
- 1976
ギャラン 3代目1976年〜1980年デザイン責任者
「これからは俺がデザインを決める」
1973年6月、三菱自動車の2代目社長に就いた久保富夫は、就任早々デザインスタジオを訪れ、意匠課のデザイナーたちに「これからは俺がデザインを決める」と告げた。翌日からギャランシグマのデザイン作業が総力体制で始まり、最初の検討会では6案のレンダリングの中から三橋の案に方向付けされた。三橋がその案に託したのは、初代コルトギャランの継承と発展だった。
片隅のイメージモデル
フルサイズのモデルに移ってからは苦難が続いた。意匠課は過去に例のない7案ものモデルを次々に試したが、久保の反応は悪く、スタジオに来るたびに「こんな、ろくでもないもんしか出来んのかね」と罵った。そこで、基本寸度図の条件を外して理想のプロポーションを追ったイメージモデルを作った。1974年4月、久しぶりにスタジオに来た久保は、進行中のモデルには目もくれず、片隅に置いてあったそのモデルを見つけて「これがいいね。これをベースに進めたらどうだ」と言った。全高は25mm下げて1360mmにすることになった。
プロフィール
三菱の社内デザイナー。初代ギャラン(コルトギャラン)は三橋を中心とする社内チームが仕上げ、3代目のギャランΣの外観も三橋の率いる社内デザインチームによるもの。