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売るつもりの無かった車
スポーツ 800 は、パブリカのエンジンとシャシを使う前提で、1962 年に関東自動車工業で開発が始まった。主査は長谷川龍雄。長谷川によれば、もともと売るつもりで作った車ではなく、パブリカの開発が終わって次のカローラが始まるまでの手慰みにやった実験的な作品にすぎなかった。パブリカの部品を使ったのも、製品化の予定が無い車には会社の設備を割けなかったからだ。ところが 1962 年の東京モーターショーに出すと思いがけない反響があり、販売部門の要望で製品化することになった。市販は 1965 年 4 月から。日本に合わせたパブリカの部品ではアメリカの道路を高速で飛ばす使い方に耐えられないと長谷川が強く反対したこともあり、輸出はほとんどされず、1969 年 10 月に販売を終えるまでの累計は 3,131 台にとどまった。

