揚妻文夫のプロフィール写真

揚妻文夫

トヨタ開発責任者

カローラに空力を持ち込み、FF化への道を開いた主査

年表

  1. 1977

    トヨタ主査

  2. 1979
    カローラ 4代目のサムネイル
    カローラ 4代目

    1979年〜1987年開発責任者

    デザイナーに空力を学ばせる

    車の性能が上がるにつれ、空力がデザインの要になると揚妻は考えた。そこでまずデザイナーを集め、東富士の空力研究グループに講義をしてもらった。それを踏まえてデザインしたのが4代目で、風洞実験は四百数十時間に及び、シャープなスラントノーズの箱型の姿で登場した。

  3. 1983
    カローラ 5代目のサムネイル
    カローラ 5代目

    1983年〜1987年開発責任者

    次のカローラは FF に

    4代目の発売からしばらくして、揚妻は担当員に、次のカローラを FF にするための専任の開発を命じた。欧州適合試験でこのクラスは FF が有利だという報告を受けており、社内が FF 化を少しずつ進めようとするなかで、次のモデルから FF にすべきだという強い信念を持っていた。承認はなかなか下りなかったが、ある時 GO サインが出て FF 化が一気に動き出し、5代目で FF のカローラが実現した。

  4. 1983
  5. 1983

    FF 化の陰で FR を受け継ぐ

    4 代目のカローラが出てしばらくすると、主査の揚妻は担当員の本多孝康に、次のカローラを FF にするための専任の開発を命じた。1983 年 5 月のモデルチェンジで、セダンは FF、レビンとトレノは FR の「2 本立て」になり、トレノはリトラクタブル式のヘッドライトでレビンと差をつけた。5 代目の FF カローラはエポックメイキングだったが、原価との折り合いなど未消化の部分も残った。そんな中で FR を受け継いだ 86 レビン/トレノが高く評価されたことを、本多は興味深いと振り返り、幅広い人に向けて普遍的に造るセダンと、限られたクルマ好きに向けて造るスペシャリティの違いが見られて面白いと話している。

つながり

  • 本多孝康のプロフィール写真

    本多孝康

    部下

    本多は1977年に揚妻主査の付担当員としてカローラの製品企画に移り、4代目カローラが出てしばらくしたころ、揚妻主査から、次のカローラをFFにするために「FF専任で開発に取り組むように」と指示された。

  • 奥平総一郎のプロフィール写真

    奥平総一郎

    相談に来た人

    入社して機能部品の設計を担当した奥平は、4代目カローラの主査をつとめた揚妻から、色々な指導を受けた。

プロフィール

4・5代目カローラの開発担当責任者(CE)。

トヨタの開発者

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