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「おれの代でクラウンをつぶすわけにはいかない」
2000 年代に入ると、トヨタは海外展開を加速して規模の拡大を追い、売れるクルマと売れる地域が優先されるようになった。クラウンの販売は右肩下がりで、このままではいつかクラウンがなくなってしまう、という危機感の中で 2003 年に 12 代目を迎える。開発を担当した加藤光久は「おれの代でクラウンをつぶすわけにはいかない」の一心でクラウンの再構築に挑み、世界基準の走行性能を目指してプラットフォームとエンジンをゼロから開発した。この「ゼロ・クラウン」で、「走りのクラウン」という新しい方向が見えてきた。16 代目の発表でこの話をした豊田章男社長は、当時、師匠の成瀬のもとで運転訓練を始めたところで、ゼロ・クラウンの走りの良さを自分のセンサーで感じたことを今も鮮明に覚えているという。

