日産 · スカイライン

日産 スカイライン 3代目(C10)

販売期間
1968年〜1972年
型式
C10
駆動方式
FR
3代目(C10)のサムネイル

画像: Sicnag / CC BY 2.0

どんな車か

日産・プリンスの合併を経た世代。ボクシーなスタイリングから「ハコスカ」の愛称で親しまれ、リアフェンダーのプレスラインは「サーフィンライン」の名前で親しまれた。

開発秘話

01

合併のさなかの 3 代目

プリンス自動車工業が日産自動車に吸収合併されたとき、3 代目スカイライン(C10)の開発はすでに佳境に入っていた。上層部の判断しだいでは、開発中止も車名の断絶もあり得た。できあがった試作車は実にいい具合で、いっぽう日産ではブルーバード(510)を開発していた。話し合いの結果、ブルーバードはファミリーセダンとして出し、スカイラインは走りの性能を徹底的に追求することになった。桜井は、2 代目のフィロソフィーを受け継いで存在価値を示そうと、荻窪のプリンス出身のエンジニアが一丸となったと語る。シートの表皮や匂い、エンジンの音、ドアの開閉音にまで気を配ったのが 3 代目の C10 だった。C10 は 1968 年の夏に「ニッサン」ブランドで登場した。
桜井眞一郎

エンジン

足まわりと大きさ

全長 4,135-4,430mmWB 2,420-2,640mm1,390-1,405mm全高全幅 1,595mm

系譜の中での位置

19501960197019801990200020102020Now

生産工場

  1. 村山工場

    東京都武蔵村山市

販売実績

出典で確認できた台数はまだありません

マイナーチェンジ

マイナーチェンジエンジン排気量最高出力最大トルク車両重量シフト価格
1968年8月 発売時1968年8月〜L20——————
G18——————
1969年10月 マイナーチェンジ1969年10月〜———————
1970年10月 マイナーチェンジ1970年10月〜———————
1971年9月 マイナーチェンジ1971年9月〜G151,483cc95ps最大————
L201,998cc—————

開発に関わった人

桜井眞一郎のプロフィール

桜井眞一郎開発責任者

出身地: 神奈川県

スカイラインの開発責任者 (主管)。2代目の途中から7代目の開発終盤まで一貫して指揮を執り、「ミスタースカイライン」と呼ばれた。